一日一首
ランダムに変わる取り札を見て上の句を当てる練習ができます。毎日の腕試しにご活用ください。
歌人
参議等
歌
浅茅生の小野の篠原しのぶれどあまりてなどか人の恋しき
現代語訳
浅茅の生えた小野の篠原、ああ、そんなふうに忍んできたけれど、忍びきれずにどうしてあなたがこんなにも恋しいのか。
出典
後撰集 恋一 577
決まり字
あさぢ(読み方: あさじ)
第72期名人位・第70期クイーン位決定戦の前日1月10日(土)午後3時から滋賀県大津市の琵琶湖ホテルで、70回目のクイーン位決定戦を記念した永世クイーン3人による座談会が開かれました。
登壇したのは久保久美子さん(21~29期・8期)、渡辺令恵さん(32~34期、 36~46期通算14期)楠木早紀さん(49~58期 10期連続)の永世クイーン3人で、聞き手は粂原圭太郎八段(65~67期名人)です。
初めてクイーン位決定戦に臨んだ時の記憶。かるたの世界に誘ってくれた家族や恩師との想い出。これからかるたを強くなりたいと思っている子どもたちへのメッセージなどおよそ50分の楽しいトークでした。
その模様は全日本かるた協会の公式YouTubeチャンネルにアップされ無料でご覧いただけますが、ここではそのトークの一部を紹介します。(趣旨を変えない程度に言い回しは変更しています)
【初めてのクイーン戦の想い出】
★久保久美子永世クイーン
「憧れの地に来た」という気持ちではありませんでした。その前年度に公式戦(東西対抗戦)で当時の吉田(現:金山)真樹子さんに負けていたからです。その後、吉田さんがクイーンなられたのですけど、吉田さんの前のクイーンが私の同じ中学校の先輩(沖美智子クイーン)で、その先輩も負けてダブルで吉田さんに負けてしまっていた時だったので、「憧れの地に来た」というよりは「リベンジに来た」という気持ちでした。
★渡辺令恵永世クイーン
私の初めてのクイーン戦はまだ近江勧学館がなく、近江神宮の本殿が会場だったので、とても寒くて、手が冷たくて暗記時間とか「手袋をしたい」くらい冷たかった記憶があります。山崎みゆきさん(福井渚会)と対戦したのですが、最初のクイーン戦は、着替えの場所も、同じ部屋の端と端で着替えていました。その時、開会式があるので、足袋を履くのかどうかわからなかったので、「足袋はくんですか」って山崎さんに尋ねたところ答えてくれなかったので、「もう試合は始まってるんだな」ってその時思いました。
★楠木早紀永世クイーン
私はお2人と全く違って、中3の時、「今日が最後のかるたの大会になるかもしれない」と思ってクイーン戦の舞台に足を運んだのが思い出です。それも、私は本当にかるたを辞めたくて、辞めたくてたまらない反抗期真っただ中、父の頼みで最後、「これで負けたらもうかるたをやめていいから」と言われて出場したクイーン戦の西日本予選で、まさかの決勝まで進み、運命戦で「こころあ」の札を右下段で守って西日本代表になり、挑戦者決定戦に進んで、そこでも勝ってクイーン戦の舞台に進んだんですけれども、当時、今の荒川(旧姓:斎藤)裕理クイーンに挑戦させていただいたんですが、それまでの公式戦の対戦成績は1勝4敗。一度しか勝たせていただいてなくて絶対的に不利の中、調整して「もうこれで負けたら悔いなく私はかるたをやめます」という気持ちで臨みました。
(Q印象に残っている札は?)
そうですね。予選の決勝の運命戦で「こころあ」がよまれなければ、私は今この場に座っていないので、本当に運命的な1枚だなと今も思っています。クイーン位決定戦(本戦)は「常に無」の状態で、本当にひたむきに札に向かっていたので「何かこの札が…」というのは本当に全く記憶がないです。
【かるたをとっていてよかったと思う瞬間】
★渡辺令恵クイーン
取るのが好きだし、拾うのも好きだし…。でも「しのぶれど」とか、音を聴く前にわかる瞬間が好きですね。「この札来るなぁ」というのがあって、流れに乗ってその次の札が「来て」取る。これが一番いいですね。決まり字を聞くか聞かないかで取るというのが究極かな。そこに魅力を感じます。
【強くなったターニングポイントは?】
★久保久美子永世クイーン
私は中学1年の時に始めたのですが、その時に既にクイーンになった先輩(沖美智子さん)がいて、何も知らずに私は入ったんですが、入ってみたらその沖クイーンを育てたスパルタの小林広通先生(故人・社会科・かるた部と野球部の顧問)と出会いました。
1日も休みがない。「もうこの世界何?」っていう感じで。でもクイーンって何かよくわからなかった頃に「2番目のクイーンは君だよ」みたいに言われていて、でも本当に休みがなくてしんどい。中学3年間、とにかくどうやってここから逃れられるか、「逃げること」しか考えていない。卒業時にこれで「高校に入ったらやめられるかも」と。ほんとうに厳しい部活だったんですね。でも何とか3年続きました。そして卒業式で卒業生が一言ずつ話す演出があって、その時に私はかるた部だったから「たちわかれ」の歌を詠む役目でした。その頃は歌の意味もあまり考えてなくて「そうか。卒業式だから別れの歌なのね」くらいしか思ってなかったのですけど、後から意味をよく考えると、「私は戻ってきます」という歌ですよね。「あっそうか。私は今すぐにでもかるたに戻りますよ」と宣言させられたんだって。これは先生が亡くなった後に気がついたのですけど。(中略)そこから本気で「小林先生が2人クイーンを作る」という夢を持っていることがわかって、先生の奥様も熱心な方で、私は逃げたかったけども、一緒に夢を叶えてあげたい。でもそれが自分の夢になっていきました。そこがターニングポイントです。そこから毎朝走り始めました。強さの秘訣は毎日走ったことです。(当時は「有明」のない時代。4日間続けて一日に8試合取ったこともあったそう)
【かるたを強くなりたいと思っている子どもたちへ】
★渡辺令恵永世クイーン
毎日取るのが基本ですね、私はけっこう素振りが大事だと思います。私は小さいときは札を裏返しにして緑を表にして払っていました。あとは「負けん気」かな。(指導していただいていた)正木一郎永世名人がよくおっしゃっていたんですよ「勝負は負けん気だ」って。
★楠木早紀永世クイーン
やっぱりかるたが好きな人たちとつながって、そのかるた教室とか会とか、学校とかでもいいんですけれども、私は1人で取ってきたから、小中高時代は、ひとりでかるたをするつらさとか、楽しくあまり感じられなかった部分が多かったんです。でも大学で立命館大学に行って、その仲間と一緒にするかるたの楽しさとか、最近は小学校の先生なので、教室で百人一首をするんですけども、子供と一緒に教えながらするかるたの楽しさとかも感じています。うちのクラスでは「楠木早紀先生を倒す」「私が未来の永世クイーンだ」と言っている3年生の女の子がいるんですけども、そんなことでまたやっぱり友達と言ったり、いろんな人のつながりを大事にしながら、かるたの世界に足をふみこんできてほしいなというふうに思います。楽しみながら、また少しずつこの競技かるたの奥深さを味わってくれたらうれしいなと思います。
以上