夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く 夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く
現代語訳
夕方になると門前の田の稲葉に音を立てて、蘆ぶきのまろ屋に秋風が吹くことだ。
所載歌集
金葉集 秋 173

新しい光景

都の西郊、現在の梅津の地にあった源師賢(もろかた)の山荘に多くの人が集まったとき、「田家の秋風」という題で詠んだもの。歌合のような晴の場ではない、プライベートな場面でも題を設定して歌を詠むところにこの時代の雰囲気が出ている。「まろ屋」は仮の宿りや粗末な家のことで、ここでは師賢の山荘をさす。日が陰り急に寒くなった夕暮れ時、冷たい風が吹き抜け、稲のそよぐ音が聞こえる。「ぞ」によって強調された秋風の余韻が体感として、また聴覚にいつまでも残る。

この時代、うたわれる場が都の中から郊外に広がり、経信はそれまで注目されなかった田園や山村の光景を好んで詠んだ。寂しさを受け入れて一首の叙景歌とする着想は新鮮で、秋の夕暮そのものの寂しさを詠んだ70「さびしさに」から更に一歩踏み出している。この着想は87「村雨の」94「み吉野の」といった新古今集時代の歌作へと受け継がれていく。

古今集を基盤とする王朝和歌からの転換期の歌人として、和歌史を語る上では欠かせない重要歌人。鎌倉時代に書かれた『十訓抄』や『古今著聞集』には白河院の大堰(おおい)川遊覧時にわざと遅参し、川岸から離れた詩・歌・管絃の三船を呼び戻し、管絃の船に乗り詩歌を献じたという話が残る。55藤原公任と同じく三才に優れていた。76源俊頼の父、85俊恵法師の祖父。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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