夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり 夜もすがら物思ふころは明けやらで閨のひまさへつれなかりけり
現代語訳
夜通し物思いにくれているこのごろはなかなか夜が明けず、寝屋のすき間までつれなく感じられることだ。
所載歌集
千載集 恋二 766

「さへ」の語るもの

男の訪れがないことを恨む女の立場での歌。「物思ふころ」とあるので、一晩中寝つけない日がしばらく続いていることがわかる。眠れない夜は時間が経つのが遅い。物思いがつのるばかりである。その原因である男の存在(不在?)は直接語られていない。唯一の手がかりが「さへ」だ。既にあるものの上に新たに付け加えるものを示す、添加の副助詞。ここで新たに加わったものは「ねやのひま」。姿を見せない男を薄情に思うだけでなく、その不在を具体的に示す寝室のすき間までもがつれなく思うという。「つれなし」の対象を人からずらしたところに面白みがある。後拾遺集の「冬の夜に幾たびばかり寝覚めして物思ふ宿のひま白むらむ(冬の夜に何度寝覚めして、物思いにふけるこの家のすき間は白んでいくのだろうか)」を踏まえる。冬の長い夜を詠んだ本歌から「物思ふ」だけを取り出して全く新しい世界を詠出する。

 

俊恵は祖父に71経信、父に74俊頼を持つ。三代で百人一首に名を連ねるのはこの三人のみ。俊頼とは17歳で死別し、その頃出家し東大寺の僧となった。40代で和歌資料に頻繁に名がみえるようになり、白河にあった自身の僧房を「歌林苑」と称して歌会や歌合をしきりに主催した。千載集には集中の歌人で最多の22首が入集する。

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