君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ 君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ
現代語訳
あなたにさし上げるために春の野に出て若菜を摘む私の袖に、雪はしきりに降りかかかって来て。
所載歌集
古今集 春上 21

和歌隆盛の始まりはこの人から

新春に芽吹いた食用となる草を摘んで汁物にして食すと邪気が払われるという。その草々を総称して若菜といい、若菜摘みは年中行事の一つとして定着していた。今の「春の七草」のもとである。その縁起物に添えた歌。「若菜」は万葉集では「春菜」といい「明日よりは春菜つまむとしめし野に昨日も今日も雪は降りつつ(明日からは春菜を摘もうとしるしをつけた野に昨日も今日も雪が降り続いているよ)」とうたわれた。この続きを詠んだような一首だ。歌末「つつ」は反復を表わし、雪が降りかかる中で若菜を何度も摘んだことをアピールする。親王時代の作。

父は仁明(にんみょう)天皇。皇位は藤原冬嗣の娘との間にもうけた異母兄・文徳天皇が継ぎ、以後清和、陽成と藤原北家出身の后を母とする帝が続く。ところが8歳で即位した13陽成天皇は長ずるにつれ奇行が目立ち在位9年で退位した。まだ子はなかった。そこで白羽の矢が時康親王と称していた光孝天皇に立てられ、55歳で即位する。在位わずか四年で子の宇多天皇に譲り、その日に息を引き取る。長かった親王時代には12僧正遍昭と親しく、遍昭の七十の賀の祝を催した。即位後は16在原行平との交遊を深め、行幸に同行した行平の和歌が後撰集に入る。歌人との交流を重ねる姿勢は宇多、醍醐と二代続く直系の皇統に受け継がれ、醍醐天皇の古今集勅撰事業へとつながる。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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