たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰りこむ たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとし聞かばいま帰りこむ
現代語訳
これから別れて因幡(いなば)の国に行きますが、その因幡の山の峰に生えている松、いや、私を待つと聞いたならば、すぐにでも帰って来ましょう。
所載歌集
古今集 離別 365

歌合の始まりはこの人から

鳥取県 白兎海岸

855年、37歳の在原行平は因幡守として現地へ行く。任期は四年。出典の古今集には「題しらず」とあるが、見送りに来た人々へのあいさつの歌なのであろう。赴任先の地名と、出かけていこうの意の「()なば」を巧みに掛ける。そして旅行く先に連なる山、松、と遠くに続く景色を思いやりながら同音の「待つ」に転じることで、再び今この場の思いに立ち戻る。別れのさびしさや不安な気持ちがにじみ出る。古くは、任果てて都へ戻る時の歌という解釈もあった。因幡の国の皆さんが「待つ」というのを聞いたらまた戻って来ましょう、となって、これもあいさつ代わり。捨てがたい解釈だ。

須磨寺 本堂

帰京後は一時期不本意な形で須磨と関わりを持つ。そのときに詠んだ「わくらばに問ふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶと答へよ(たまたま聞く人があれば、須磨の浦で藻塩を垂れながら涙にくれてわび住まいをしていると答えてください)」が古今集に入る。『源氏物語』で光源氏が自ら須磨に身を引いた先は、かつて行平の暮らした所の近くという設定になっている。晩年は光孝天皇に仕え、880年代には歌合を主催したという記録がある。提出された歌に優劣をつける形ではなく、一堂に会した歌人たちが歌を詠み合ったもの。記録に残る中では最古の歌合である。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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