もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし もろともにあはれと思へ山桜花よりほかに知る人もなし
現代語訳
一緒にしみじみとなつかしく思っておくれ、山桜よ。お前よりほかに私の気持ちを分かる人はいないのだよ。
所載歌集
金葉集 雑上 521

桜を擬人化するとき

夜桜と松

行尊はこの時奈良の霊峰・大峰山で修行していた。68三条院の曾孫にあたる行尊は若いころから仏道に帰依し、山伏修験の行者として山岳修行によく励んだ。長じては三井寺や天王寺といった名のある寺院を経て、天台宗の最高位である天台座主に就き、その後僧正の中でも最高の大僧正となる。加持祈祷の評判が高く、人望も厚かったという。86西行をはじめとする後代に与えた影響も大きい。

この歌は三月下旬、常緑の木々に囲まれてわずかに咲き残っていた桜を見て詠んだもの。「もろともに」は、山桜も自分と同じようにの意。自分もこの先、この山桜をしみじみとなつかしく思い出すことがあるだろう、だから同じようにお前も自分のことを思い出してくれ、と擬人化した山桜に呼びかける。

川に散る桜

厳しい環境の中で、桜は桜としての生きかたを貫き、自分も修行者としての生を全うする。互いがおのれを曲げることなく生きてあることの肯定観を確かめ合うような一首である。行尊はこの場に立ちどまることなく修行の歩みをすすめる。そのどこかでふとこの桜を思い出し、同行者のいることに思いを馳せ、苦行を乗り越えるのであろう。表現技法の必要から生じた擬人化ではなく、かけがえのない仲間と出会えたことを大事にしたいがための擬人化である。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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