秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ 秋の田のかりほの庵の苫をあらみ我が衣手は露にぬれつつ
現代語訳
秋の田の仮の庵の(とま)が粗いので、私の袖は露に濡れたままでいるよ。
所載歌集
後撰集 秋中 302

いつしか天皇の歌に

苫はスゲやカヤで葺いた粗末な覆い。ここでは実った田の見張り小屋の屋根に用いる。「苫をあらみ」は「苫が粗いので」と訳す。「AをBみ」で「AがBなので」という意。48「風をいたみ」77「瀬をはやみ」も同様。「ミ語法」といい万葉集に多く残る古風な言いかた。だが、「の」を連ねてリズムを作る前半や、歌末を言い切らずに継続や反復を意味する「つつ」で余韻を残すあたりは万葉には見られない洗練した形となり、すっかり王朝和歌にとけ込んでいる。

もとは万葉集の「秋田刈る仮庵(かりいほ)を作り我が居れば衣手寒く露ぞ置きにける」という作者未詳歌。歌の背景には稲を獣害から守る番人の孤独で厳しい実態がある。伝誦の中で形を変え、950年代に成立した第二勅撰集『後撰和歌集』で天智天皇作として定着し、番人の労苦を体感する天皇、というイメージがつくられる。奈良時代は天智の弟・天武の皇統が続いたが途絶え、平安時代は天智天皇の曽孫・桓武天皇から始まる。今に連なる皇統の祖としてこの歌が冒頭に置かれたという。

99後鳥羽院はこの歌を本歌に「秋の田のかりほの庵に露置きてひまもあらはに月ぞ()り来る」、「苫をあらみ露は(たもと)に置きゐつつかりほの庵に月を見しかな」など繰り返し詠じている。粗い苫から月の美を見出す点に時代を感じる。平安朝の祖への思いはいくばくであったか。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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