花さそふあらしの庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり 花さそふあらしの庭の雪ならでふりゆくものは我が身なりけり
現代語訳
花を誘う嵐の庭の雪のように桜が降りゆく、いや、古りゆくものは年老いた我が身であったよ。
所載歌集
新勅撰集 雑一 1052

散る桜とともに

一首の和歌がその人の生涯を象徴することがある。入道前太政大臣・藤原公経(きんつね)は若い時から和歌と琵琶の才能に恵まれた。源頼朝の妹の娘を妻に迎え、幕府に近い公家としても注目を浴びる。実朝が暗殺された後には外孫の頼経が鎌倉将軍になった。承久の乱では一時とらわれの身となり命の危機もあった。しかし幕府方が勝利して以後はその存在感を増し、最高官位の太政大臣まで昇り、北山の別邸に西園寺を造営する。その後は西園寺を名のり、大正昭和に活躍した最後の元老・西園寺公望に及ぶ同家繁栄の基盤をつくる。

また北山の別邸は後に足利義満の手に渡り、金閣寺としてその華麗な姿を現在に伝える。公経はこの別邸でしばし雅やかな宴を開いたという。もはや手に入らぬものはない、といったところだ。

嵐に巻き上げられ、そしてはなやかに舞い散る桜吹雪は、公経のはなやかな生涯、とりわけ後半生を象徴するかのようである。その経歴や業績を振り返るうちに、いつしか「降り」が「古り」となり、わが身の老いを自覚せざるを得なくなる。この瞬間に「雪」は、はなやかに散り交う桜のたとえから白髪の象徴へと変わる。あれほどのはなばなしい生涯を送っても、最後にたどりつくのは老いの嘆きなのだ。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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