難波江の蘆のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき 難波江の蘆のかりねのひとよゆゑみをつくしてや恋ひわたるべき
現代語訳
難波江の蘆の刈り根の一節(ひとよ)のような、旅の仮寝の一夜(ひとよ)のために、この澪標ならぬ、身を尽くして恋しく思い続けることになるのでしょうか。
所載歌集
千載集 恋三 807

縁語とはこういうもの

和歌の修辞技法には枕詞や序詞、掛詞などがあり、中でも説明に苦労するのが縁語だ。「歌の主題には関係ないところで、意味やイメージの共通する語を用いること、またそのことば同士のこと」と定義しても高校生にはピンとこない。そこで引き合いに出すのがこの歌だ。

主題は、旅の仮寝、ほんのかりそめの関わりのためにこの先ずっと身を尽くして恋しく思い続けることになるのか、という哀れな恋情。「仮寝」「一夜」というはかない状況と「身を尽くして」恋しく思い続ける、という、生涯を覆い尽くすような思いとの対比に圧倒される。その裏で掛詞としての「蘆」「刈り根」「一節」「澪標」はこの主題とは関係ないが、「難波江」と結びつきの強いことばである。「恋し続ける」の意の「恋ひわたる」の裏に「渡る」を見て、これも含めたい。この一連のことばが縁語である。難波江の光景を強く印象づけることで、そこに滔々と流れたゆたう水脈(みお)のように、絶えることなく流れ続ける恋の思いを浮かび上がらせる。「旅の宿りに逢ふ恋」題の一首。

「旅の宿りに逢ふ恋」題の一首。作者は77崇徳院の皇后・皇嘉門院に仕えた女房。和歌の事績は少ないが、このような技巧に富んだ、それでいてしみじみと思わせる歌をつくる女房の存在が珍しくなかったのであろう。平安末期の宮廷、畏るべし。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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