春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ 春の夜の夢ばかりなる手枕にかひなく立たむ名こそ惜しけれ
現代語訳
春の夜の夢のようなかりそめの手枕をお借りしたばかりに、何の甲斐もなく立ってしまう浮名がもったいないのですよ。
所載歌集
千載集 雑上 964

いろいろなつながりが

春半ばの二月、月の明るい夜、二条院のもとに人々が集まって、夜通しおしゃべりに興じていた。この時、1000年代末期の二条院とは後一条天皇皇女・章子内親王のことで65「うらみわび」で登場済みだ。ふと物に寄りかかり横になった周防内侍が「枕があれば」とそっと言ったところ、大納言・藤原忠家が「これを枕に」と言って御簾の下からみずからの腕を差しだしたのをうけて詠んだもの。春の夜、夢、手枕、と恋歌によく見ることばを並べてほの甘い雰囲気を盛り上げる。そして腕をいう「かひな」からとっさに「かひなく」と反転し、男の申し出をはぐらかす。周防内侍の機転のすばらしさと、歌人としての資質を余すところなく見せつけた場面だ。62清少納言の『枕草子』にあっても違和感のないエピソードである。

このときの忠家の返歌「契りがあって春の夜ふけに差しだした手枕を、どうして甲斐のない夢になそうというですか(契りありて春の夜深き手枕をいかがかひなき夢になすべき)」も伝わる。意識して「かひなき」というのだが、内侍の後にあってはかすんでしまう。

忠家は72「音に聞く」で贈歌を詠んだ俊忠の父。親子そろって、ベテラン女房にあしらわれている。そして俊忠の子が83俊成、孫が97定家。定家はどんな思いでこれらの歌を選んだのか。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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