大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立 大江山いく野の道の遠ければまだふみも見ず天の橋立
現代語訳
大江山を過ぎて生野へ行く道が遠いので、まだ踏んでみたことも、文を見たこともありません、天の橋立は。
所載歌集
金葉集 雑上 550

道化役となった理由は

小式部内侍は、母・56和泉式部と同様に藤原道長の娘・彰子に仕えていた。母が夫・藤原保昌の任地である丹後にいたときに歌合があり、歌人に選ばれた。歌合への参加は歌人として認められたことを意味する。そこに64藤原定頼がやって来て「歌はどうなさいますか、丹後へ人をつかわしたのですか、使いは戻ってきませんか、さぞ心もとなく思っていなさるのでしょう」と、からかい半分に話しかけ、立ち去ろうとしたときに引きとめて詠んだ歌。

地名三か所を入れ、「いく」「ふみ」と掛詞ふたつを盛り込んで作歌の力量を示し、母に代作なんか頼んでいませんから、と定頼の疑いをきっぱりと否定する。と、ここまでが第五勅撰集『金葉和歌集』の詞書(ことばがき)による情報。その後の説話の世界では小式部が局の中から定頼の袖をつかんで歌を詠みかけた、とか、定頼が気のきいた歌を返そうとしたが作れなかったとか、話がふくらんでいく。いずれにせよ、さえない定頼を引き合いに小式部の才気あふれるふるまいをたたえている。

しかし、ふたりの自作自演ではないかといううがった見方もある。ふたりは一時期恋愛関係にあったようで、若き歌人・小式部内侍を売り出すために定頼自ら道化役となり、話を広めたという。まるでアイドルのプロデュースだ。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗 〉

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