嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかはしる 嘆きつつひとりぬる夜の明くるまはいかに久しきものとかはしる
現代語訳
嘆きながらひとりで寝て過ごす夜の明けるまでの間がどんなに長いものか、あなたはわかっているのですか。
所載歌集
拾遺集 恋四 912

初句にこめられた思い

「かは」は反語。夜明けまでがどれほど長いか、思い悩んだことのないあなたにはわかるはずはないですよね、と突き放す。歌を詠んだところで気持ちが癒されることはなく、つくづく分かり合えないことを実感する。「嘆きつつ」には夫・兼家への恨みや嘆きにとどまらず、それでもなお気にせざるを得ない屈折した思いが凝縮されている。

 

『蜻蛉日記』によると、別の女の所を出た兼家が明け方に戸を叩く音がしたが出なかったところ、兼家はそのまま女のもとに戻ったというので詠んだ歌。いつもよりていねいに書き、色の変わった菊に添える。白菊は霜に触れることで紫に変色し、二度咲くといって賞美された。ここは兼家の心変わりをあてつけたもの。兼家はすぐに返事をし「げにやげに冬の夜ならぬ槇の戸も遅く開くるはわびしかりけり(全くおっしゃる通りですが、冬の夜ならぬ戸が開かないのもつらいものですよ)」と、夜明けを戸が開けるにすり替えてはぐらかす。とぼけた感じが出ている。拾遺集では、中に入れてもらえず朝を迎えた兼家が「立ちくたびれて」と言ったので詠んだとあり、兼家に都合の良いようになっている。兼家にはユーモアのセンスがあり、道綱母が山籠もりを終えたときには、尼にならずに帰ったことから「雨蛙(あまがへる=尼帰る)」と呼んでからかった。約二十年に及ぶ日記にはしばしばふたりの贈答が見られ、紆余曲折のあった男女の物語を見るようでもある。

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