あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな あはれともいふべき人は思ほえで身のいたづらになりぬべきかな
現代語訳
「ああ、かわいそうに」と言ってくれそうな人はほかに思い浮かばず、このまま我が身はきっと死んでしまうのだろうなあ。
所載歌集
拾遺集 恋五 950

「あはれ」に込められた思い

作者は藤原伊尹(これまさ)26忠平の孫で兼家の兄。第二勅撰集『後撰和歌集』の編纂時には和歌所別当として「梨壺の五人」と呼ばれた撰者たちを監督する立場にあった。また娘懐子(かいし)が冷泉帝に入内(じゅだい)し、後の花山帝となる皇子をもうけたことから摂政太政大臣となる。一方で「色好み」を追求した風流人でもあり、自身を下級役人「倉橋豊蔭(とよかげ)」と設定して女性との贈答を物語風にした家集を作る。これはその冒頭歌で拾遺集・恋五に入る。詞書には、かつて関係があったが最近冷淡になったので詠んだとある。「身のいたづらに」は死ぬの意。「ぬべき」は強調表現で、きっとそうなるに違いないと確実性を高めたおおげさな物言い。この時の女の返歌も伝わる。「何事も思ひ知らずはあるべきをまたあはれとは誰か言ふべき(何事もわからなければそう言ってもいいのですが、今さら『あはれ』と誰が言いましょうか)」と、あなたの本性を知っているのでと、口先だけのおおげさな言い方を見抜いている。こうしたやりとりを楽しむのが「色好み」であった。

 

「あはれ」の一言を求める男、というのは当時の典型の一つでもあった。『源氏物語』の柏木は、光源氏の正妻・女三宮に「あはれ」とだけでも仰ってくださいと懇願し関係を持つ。すぐに源氏に知られ、柏木は病に憑かれ早死にする。すると皮肉にも世間は彼を「あはれ」と惜しむ。

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