田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
現代語訳
田子の浦に出てながめて見ると、真っ白な富士の高嶺に雪が降り続いているよ。
所載歌集
新古今集 冬 675三十六歌仙

田子の浦はどこ

古来「田子の浦」はどこかで議論の尽きない一首。万葉集では「田子の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」とある。「ゆ」は「~を通って」という意味で、平安時代には消滅した格助詞。田子の浦を通り抜けたときに不意に現れた富士に感動したさまをうたう。したがって、田子の浦から富士は見えなかったことがわかる。その後、田子の浦は古今集で「駿河なる田子の浦浪」とうたわれた影響で、浪ならぬ涙に「濡れて」や、浪が絶えぬように思いが「絶えぬ」など恋歌の歌枕として詠まれた。

この歌を踏まえたものでは新古今集の前夜になってようやく92二条院讃岐の「白妙の富士の高嶺に雪降ればこほらでさゆる田子の浦浪(富士の高嶺に雪が降ったので凍ることなく冴えわたって見えるよ、田子の浦浪は)」(『千五百番歌合』)がある。雪に照らされて波の動きがはっきり見えるという趣向。本歌と違い、富士と田子の浦のいずれもが視界に入っている。「田子の浦に」が定着していたことがわかる。

出典の新古今集・冬では「雪は降りつつ」とあることで、冠雪した富士になお雪が降りかかるという、目には見えない幻想的な世界が作り上げられる。万葉集での富士が見えたことの感動から、伝誦を経て、歌の世界が全く異なったものとなっている。こうなると、田子の浦が現実にはどこかということはどうでもいいように思える。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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