人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香ににほひける
現代語訳
あなたの気持ちはさあわかりません。ただこの昔なじみの所では梅の花が昔と同じ香りで咲き匂っていることですよ。
所載歌集
古今集 春上 42三十六歌仙

あいさつ代わり

久しぶりに長谷寺に行ったとき、その途中でなじみの家に立ち寄った。するとそのあるじが「ちゃんと宿はありますのに」と皮肉を込めて話しかけたので、そこにあった梅を一枝折って詠んだ歌。との詞書(ことばがき)が古今集には付く。梅と同じように私の気持ちも変わっていませんよ、というあいさつ代わりの一首だ。貫之の歌を集めた貫之集には、あるじの「花でさえ同じ心で咲くのに、それを植えた人の気持ちも知ってほしい(花だにも同じ心に咲くものを植ゑけむ人の心知らなむ)」という返歌が残る。あるじもまた、私の気持ちも変わっていませんから、と言い返す。気の置けない知人同士の軽妙なやり取りといった感じである。あるじを女性とする見方が根強い。梅も香り、春を実感する中でちょっとはなやいだ雰囲気が立ちこめてくる。

「ふるさと」は昔なじみの土地のこと。だが、京都から長谷寺へ行くときには奈良を経由することを思うと、かつての都で今はさびれてしまった地という意味も重なり、懐旧の情がわきあがる。人の営みのはかなさと、どんな世であっても変わらぬ自然の営みとが鮮やかに対比されている。

この歌も9「花の色は」と同様に平安時代には注目されることがなかった。97定家が繰り返しこの歌に注目することで、貫之の代表歌となった。

〈暁星高等学校教諭 青木太朗〉

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